香の葉

たいせつな言葉を香りに乗せて

捏造されたノスタルジー――ポーラは嘘をついた『Apart/from/the/apartment』(8/18追記)

8/19に終わってしまう展示についてどうしても書きたかったので、長いこと放置していたブログを慌てて更新。ご無沙汰してます。

 

 

ポーラは嘘をついた(Paralyzed Paula)という、謎めいた名前の表現団体*1

 

東京オリンピックの年に建てられたマンション(の中の展示スペース)を会場として、『Apart/from/the/apartment』という展示&パフォーマンスを開催していたので、仕事帰りにふらっと立ち寄りました。

  

 

①展示について

ポーラは嘘をついた

『Apart/from/the/apartment』

会期:2017.8/14~19(17:00~22:00)

会場:Oz space(東京都渋谷区桜丘町9-17 TOC第3ビル502)

入場料:500円(ドリンク付き)

 

 

②レポート

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昔ながらのマンションの雰囲気が色濃く漂うこの建物の、多分最上階。

 

ドアを開けると、当然ながら人の気配。かつて確かに住居だったことを感じさせる部屋の左手にはベッドが置かれ、女性がひとりくつろいでいる様子。一瞬、見知らぬ女性のお宅におじゃましてしまったようでどきっとする。

 

右手には一貫した美意識のもと集められたようなものものとともに、不思議な写真が展示されている。誰かが自分の好きなものばかりこっそり貯め込んでいた秘密の小部屋みたいだ。

 

かわいい感触の、どこかほっとするような景色、色調の写真には、一緒に並んでいるものと同じようなアクセサリーや花、スパンコールのようなものがコラージュされていて、懐かしいのに見慣れない、不思議な印象があった。

 

その後方にカウンターがあり、主催の(と思われる)かたに入場料を払い、お酒か紅茶をいただく。

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私が行ったタイミングで、たまたま短いパフォーマンスが始まった*2

 

ベッドの上の女性による独白劇。窓の外を見つめたり、棚の本を手にとったりしつつ、この部屋を借りたときのこと、外の景色のこと、いなくなってしまったひとのことなどを、とりとめもなく語る。

 

そのあいだ、ベッドや窓、そしてこの部屋、さらには外の景色は、展示会場とそこにあるものでありながら、そのまま劇中に出てくるオブジェクトでもあって、パフォーマンスが終わっても女性はここで過ごしていて、つまり劇と現実は地続きに存在していて、でも劇は劇として明確につくりもので、この空間もつくりもので……

 

現実と非現実の境目でくらくらしながら、会場をあとにした。さっき登った階段や入ってきた入口が既に曖昧な境目の始まりのように見えてきた。

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③感想

古い道具の集積や不思議な写真、そして少し昔の時代を舞台にしたパフォーマンス……どこかで見たような懐かしさ(と、かわいさ、素敵さ、美しさ)を感じる内容だが、それらはすべて、この展示のために人工的に構成されたものだ。言ってみれば、展示を見たときの「懐かしい(+α)」という気持ちは、でっち上げられた過去によって呼び起こされるのだ。

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それは当然、主催者の意図したことで、公式サイト(http://paralyzedpaula.wixsite.com/paralyzedpaula)には以下のような文章がある。

 

再開発が始まった今、全てが新しく塗り替えられようとしていて、当たり前だった風景が壊されていくのを初めて目の当たりにした若者は、その反動で昔のものを探し始めた。ヴィンテージファッションや写ルンです。偽物でも、前の持ち主を知らなくても、過去を奪われたまま、未来に放り出された私たちは、手作りで何かを手にしなくてはならなかったのだ。

 

だけど、それはこの展示に、若者に限ったことではないのではないか? 人々が何かを懐かしむとき、あるいは古いものに憧れるとき、その対象は必ずしも歴史的事実の集積だとか、本人が過去に実際に体験したことには基づいていないんじゃないか?

 

懐古する、ノスタルジーを感じる、そのこと自体が、各々が何か素敵なものを見るためのフィルターを通して非現実の異界にアクセスすることなのかもしれない。非現実は単なる嘘とか何でもないものではなくて、現実とどうしようもなく地続きになった得体の知れないものなのだと思う。

 

そして、もちろん、懐かしいということは、かつて実在していたかどうかにかかわらず、「今ここにはもうない」ということだ。

 

あの部屋には、今は誰もいない。あの窓辺での語りは、いつか起こったこと。あの部屋にあったものたちは、もういない誰かの遺した品。そういうやさしい寂しさが、会場を出てから静かに沁みてくるような気がした。

 

いたずらに言葉を並べても、言いたいことがまるで言えてる気がしない。でも、とにかく面白かったです。会場まるごと、展示のコンセプトにハマっていたし、本当に不思議な体験でした。

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④これもおすすめ

(私が勝手に記事の内容との関連性を見出したものを紹介します。内容にはあまり触れず共通点のみ。今後の記事でもやりたいです。)

 

会場となった古いマンションと、その中の展示スペース自体、懐かしさを感じさせながらもどこか非現実感を帯びていたのだけれど、それで思い出すのが、小川洋子薬指の標本にでてくる、「標本室」のある建物だ。

 

昔は女子専用アパートだったが、今では二人の老婦人が住んでいるだけで、他の部屋には標本がしまわれたり事務室になったりしている、静かな建物。単純にその雰囲気だけで連想したのだが、そういえば主人公と標本技術士の弟子丸氏が、かつて浴場だった場所でデートをする奇妙でちょっとエロティックなシーンがあって、浴場だったときのことを弟子丸氏がまるで見てきたかのように想像していたなあ*3。その辺りは架空の過去を懐かしむ、展示の意図と通じるものがなくもないかも(こじつけ)。

 

そして、小説の底を静かに流れる少女趣味と喪失感! あのかわいい寂しさは、展示会場にあふれるオブジェクトや写真が醸し出していた空気とも似ている。雰囲気や手触りというのは必ずしも力強く前面に出てくるものではないけれど、一つの作品を形作るうえで絶対にハズせないものだと思う。

 

見たことのない懐かしさという点では、ホラーゲーム『SIREN』シリーズか。実在の廃墟をモデルに作られたステージは、日本に住んで文化を共有する人が漠然と持つ「昔の日本っぽいイメージ」をよく表している。細々とした小道具も、「それっぽさ」を補強している。「それっぽさ」に遭遇したときに感じるあのわくわくは何なんだろう? 偽物であればあるほど喜びが大きいような気さえする。

 

ただし、田舎が舞台なので、都会の静かな孤独感が漂っていた展示の雰囲気そのものとはあまり似ていない。

 

パフォーマンスでの、セットや舞台と観客との境界線とか関係性(第四の壁?)については、これは特定の何かというわけではなく、現代の多くの演劇で、いろんなアプローチで追求されていることなのだと思う。こっち方面はあまり明るくないので、おすすめを教えてください。

 

 

(8/18 どうしても言いたりなくて少し追記。頭でっかちな言葉では捉まえられない、ある種の手触り、空気、腹で感じたことを、もっと書き残しておきたかった)

 

 

*1:公式サイトの表記より

*2:内容は日替わり。詳しい時間は公式ツイッターアカウント @paralyzed_paula などを確認してみてください

*3:弟子丸氏はよいよ