「スペシャリストの帽子」とシャネルの五番
せっかく香りを使った活動を開始するので、好きな小説にまつわる香りの小ネタを。
リンクは不思議な小説を書く人で(以前のインタビューによると本人はSFに帰属意識がありそう)、「スペシャリストの帽子」も一言でジャンルや内容の説明ができない。
かなり大雑把に要約すると、母を亡くした双子の姉妹が<死人>ゲーム*1をしながら、父や管理人、ベビーシッターととともにいわくつきの屋敷でひと夏を過ごす話。
一見幽霊屋敷もののように思えるし、それは間違いではないのだが、幽霊の存在感がぼんやりしていたり妙に生々しかったり、そもそも誰が幽霊なのかよくわからなかったり、どうにもとらえどころがない。
ついでに、幽霊よりも現実部分の細部の描写が不気味だったりする。世間からやや距離を置いているように見える双子とか、管理人にも見分けられる双子を見分けられない父親とか。*2
とにかく、何が怖いかよくわからないのに確かに怖くて、現実と異界のあいだで宙ぶらりんになっているような寂しさがあって、でも手触りは子供が広める都市伝説のようにどこかキュートで、とにかく私はこの小説が好き。
さて、その小説の中に、こんな文章がある。
まだ一年も経っていないというのに、サマンサ*3は母親がどんな姿をしていたか忘れかけている自分に気付いた。母親の顔だけでなく、どんな香りだったかさえも。それは乾いた干し草のようでもあり、シャネルの五番のようでもあり、なにか他のもののようでもあった。(中略)サマンサが<死人> になったら、ほしい馬をすべて手に入れて、それはみんなシャネルの五番の香りがするのだ。
初めて読んだとき、この「干し草」と「シャネルの五番」の並びがなんだか唐突に思えた(この人の小説には、もっと変なこともたくさんあるが)。
干し草と香水なんて全然違うものなのに……それも、なぜわざわざ「シャネルの五番」なのか? 適当に書いただけで、考えるだけ無駄なのか?
最近、カギはもしかしたらベチバーにあるのではないか? と思いいたった。
ベチバーはイネ科の植物。その根から抽出される精油は乾いた土や草の匂いがして、ちょっと干し草のようにも感じられる。
そして、No.5にもベースノートとして用いられているのだ。
サマンサが思い浮かべた母(そして馬)の匂いは、もしかしたらベチバーを含んでいるのかもしれない。
さらに妄想を進めると、わざわざ「シャネルの五番」という具体名が挙げられたこと自体に、もう少し意味があるように思えてくる。
<死人>ゲームは「数字が重要だ」。双子は母親が亡くなってからの細かい日数や数字の形などに異様なこだわりを見せる。
これは、数字に神秘性を感じていたといわれるココ・シャネルを連想させ……なくもない……
……気づいた時には世紀の大発見のような気分だったが、だんだんこじつけが過ぎるような気がしてきた。おまけに、なにかすっきりした結論が出そうなわけでもない。
だけど、読み返すたびに少しずつ、「わけのわからなさ」の中に隠れた新しい顔が見えてくる(ような気がする)のが面白い。だから私はこの小説が好き。
余談。
私が調香のワークショップで初めて作ったのが、この小説の収録された同名の短編集をもとにした香水だった。今ならまた面白い香りが作れるかも。
そして実は、あんなに有名な香水なのに、No.5の香り、いまいちどんな匂いかピンときてない。後日改めてじっくり香りをかいでみます。