ゴーリーの新しい邦訳
いつの間にかエドワード・ゴーリーの新しい邦訳『思い出した訪問』が出ていた。
ここ最近は一年に一冊くらいのペースで出ているみたい。
『思い出した訪問』について
ドゥルシラという少女が、十一歳の夏に家族で出かけた外国で、知人を介して老人と知り合い、ある約束をして別れる。
すっかり忘れていた約束を数年ぶりに思い出し、果たそうとしたときに、老人の死を知る……というお話。
あらすじをまとめると切ないお話のようだし、最後のページのどことなく物悲しい味わいもたまらないが、読んでいる最中の感触はちょっと違っている。
見開き一ページにつき一文とイラスト一枚でお話が進んでいくのだが、あらすじからこぼれ落ちるような細部に一ページ費やしていたり、逆に月日の経過が妙にあっさり描かれたりして、全体のテンポが変な感じなのだ。
また、この本に限らずゴーリーの本はいつも、「これは切ないお話だよ!」「感動してね!」と気持ちを押し付けてこない。
私にとっては大変好ましい作風だが、うっかりするとどんな感情で読んだらいいのかわからなくなったりもする。
だから、読んでいる間じゅう「切ない」という一つの感情に支配されるよりも、妙な細部を気にしてみたり、状況の割にすっとぼけている*1人物の表情におかしみを感じたり、そういう風に読むと楽しい本だと思う。
おそらくは細いペン一つで描き分けられている濃淡や密度も、ゴーリーの絵の見どころ。
この本では特に話に絡んでくるわけでもないのに変な存在感のあるトピアリー(動物の形などに刈られている生垣)がすてきです。
ゴーリーについて何度でも訴えておきたいこと
ゴーリーは「ギャシュリークラムのちびっ子たち」が有名で、子供を本の中で残虐に殺すような、怖い本を書く人、というイメージを持っている人も多いと思う。
それを否定するつもりはないが、それだけが特徴や魅力の全てではない*2、ということは何度でも訴えていきたい。
ひとまず、私の好きなゴーリー作品から、なるべく雰囲気の違うものをいくつか挙げておく。
正体のわからない(けどかわいい)生き物がある家でいたずらの限りを尽くし家族を混乱におとしいれる『うろんな客』。
二匹のよくわからない(けどかわいい)動物が一見小難しそうで特に意味のない会話を延々繰り広げる『蒼い時』。
『弦のないハープ』ではゴーリー本人を思わせる作家の苦悩が描かれるが、彼の行動ははたから見るとなんとなく滑稽でユーモラス。
ギャシュリークラムのようなストレートに残酷な作品以外にも、『ウエスト・ウイング』のように、本の中では何も起こっていないのに不穏な空気の漂う作品も面白い。
また、他の人の書いたものにゴーリーが挿絵を描いた本は、彼自身が文章も手掛ける絵本とはテイストが違う。この辺りはまた別の記事で取り上げられたらいいな。
……ゴーリーの魅力をこの記事だけで簡潔に説明するのは難しそうに思えてきた。
それほど多面的な魅力があり、かつ、それが押しつけがましく感じられない、意外と風通しのよい作風なので、もし作品を見かけたらぜひ手に取ってみてほしい。
基本的には、真顔で冗談とも本気ともつかないことを言ってくるすっとぼけた人なのだ。
おそらくは子供を殺す時でさえ。